支那(シナ)

ユーラシア大陸東部の地域名で、古代から現代までを時代に関わらず通して指す。かつては秦・漢・隋・唐・宋・元・明・清などの歴代諸王朝が版図とし、現代では中華人民共和国(中国)領に含まれる地域で、東北部(満洲)・内モンゴル・東トルキスタン・チベットなどを除き、台湾も含まない、主として漢民族が本拠とする地域のこと。ユーラシア大陸西部を、特定の国家の名前でなく「ヨーロッパ」と呼ぶのと同等である。「から(※朝鮮半島を含む)」「もろこし(唐土)」「震旦」などと並んで、日本語でも古代から使われていた呼称の一つ。語源的には、支那最初の統一王朝「秦」の国号に遡る。それがインドでチーナ(cīna)と変化したものを、支那人自らが漢字に写して借用したものであり、その後世界各地に広がると同時に、日本語にも借用された。英語における"China"をはじめ、世界の大多数の国が、「支那」と同じ語源の単語を使って、この地域や現在の中国のことを呼んでいる。私が主に漢字で書くのは、漢字圏の名称だから、本来の表記に従うのであって、他意はない。

「支那」という言葉自体は差別語や蔑称ではないが、歴史上の一時期たる明治から昭和前半頃において、一部の日本人により、支那という地域やそこの人を侮蔑することが起こった。そのために、支那と聞くと気分を害する人がいるという理由から、支那という呼称は日本では今でも一般に自粛されている(「東シナ海」などの合成語を除く)。また、特定の国家や政府を指す場合には、その正式国号あるいはその略称を用いることがふさわしく、敢えて通時的呼称である支那と呼ぶべきではない。しかし、支那という単語を使わなくするのはおかしなことで、差別的要素を含まず当事者の大多数に嫌がられているわけでもない言葉を言葉狩りすることで差別が消えるわけではない。むしろ、良いイメージを纏わせるように努力するのが、正しい方向性であろう。それに何より「支那」という用語に適切な言い換え語は存在しないものと、私は認識している。

というのも、「中国」という呼称は、一般的に文明圏・文化圏の地理的中央に位置する国を指すか、さもなくば特定的に「中華民国」または「中華人民共和国」を指す略称である。したがって、支那におけるそれらの成立以前の時代を指すのにはふさわしくない。加えて「中国」という用語を中華人民共和国の領域と解するとき、漢民族の歴代王朝の版図に含まれなかった地域を広く含んでしまう。また、単なる美称ではなく周囲の国を野蛮な人々とけなす含みがある(中華思想)ので、その含みで東夷とされる日本人自身が積極的に使ういわれはない。かえって日本語としては、日本の一部分である、山陽・山陰地方を合わせた古代からの呼称である「中国地方」を意味する場合にこそ、積極的に「中国」を使うべきである。


(最終更新2013.1.3)