声楽と音度名唱

 ※音度名唱「拡張移動サ」の全体を概観するには、拡張移動サ音度名表をご覧ください。

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音度名唱の位置づけ

「音度名唱」という言葉は、私は他で使われている例を知らず、造語したものである。既にある「階名唱」「音名唱」といった言葉からの類比で、音度名を使って歌うこと、という意味で、それらから区別して「音度名唱」と名付けた。音度名とは、日本語の表記では「主音・上主音・上中音・下属音・属音・下中音・導音」などと呼ばれる、「旋法/調」の中での音の配列や役割の名前であり、通常は、音度名を使って歌うものだとは認識されていない。けれども、この音度名を各1音節の記号にして歌うものが、「音度名唱」である。

代音唱法ということ

表:代音唱法(唱法)の分類

代音唱法 歌うもの 示す意味 ドレミでは
音名唱 音名 音高 固定ド
階名唱 階名 音階の中での位置 移動ド
音度名唱 音度名 旋法の中での役割 機能ド
擬楽唱 擬楽名・運指名 奏法・装飾法・歯切れ 運指ド
亮音唱 歌い易い母音等 (特になし)

「代音唱法」というのも、私の造語である。<その楽曲本来の歌詞や演奏法の代わりに、仮に他の短い音節群に託して歌うこと>を、総称していう。一般には単に「唱法」と呼ばれることも多いものである。「階名唱」「音名唱」に類するものがこの2つか3つだけであれば総称する呼び名は要らないのであるが、多くなりそうなので便宜のためにそう呼ばせていただくことにした。

基本的には本番では歌われないが、ジャンルによっては、音楽の訓練や楽曲の習得に際しての補助手段としてのみ使われるものとは限らず、本番にスキャットのようにして歌われることもある。

西洋音楽から日本に持ち込まれた「ドレミ」は、主に階名唱または音名唱に使うものとして広く用いられている。それに対して、よく似たものと一般に考えられているであろうインド音楽の「サリガマ」の用法は、音度名唱である。歌う旋法がどんな音階のどの音を主音としているのであれ、主音が「サ」になるからである。「ドレミ」が同様の使われ方をする場合、あまり一般的な用法ではないが、「機能ド」と呼んで区別する。短旋法を例えば「ドレモファソロトド」と歌うような場合である。

また、擬楽唱(ぎがくしょう)という言葉も私が造語してみた。伝統邦楽における「唱歌(しょうが)」「口唱歌」に相当する。器楽を含めた様々な音楽の、奏法・装飾法・歯切れなどを、言葉にして歌うもののことである。例えば筝曲における、
 「コ―ロリン、テンツンツンコ―ロリンツントンシャン」
といったものももちろん擬楽唱に含むし、インドの打楽器タブラーのボール〔口唱〕、
 「ディナディディナ、ティナディディナ」
といった、リズム型だけのタイプのものもこれに含まれる。

「ドレミ」が、様々な音域の楽器における、共通または類似の指遣いを示すものとして使われる場合(即ち移調楽器)、これも擬楽唱の一種として、「運指ド」という名称を与えることとする。楽曲の均・調に追随する「移動ド」や「機能ド」とは違って、楽器の設計と奏法に従う定義となるからだ。

最後に亮音唱(りょうおんしょう)であるが、亮音とは、「よく鳴り響き歌いやすい発音」という意味。上記4種のような組織的な意味付けのない、各種の母音や、「ma」「na」「lo」などの適当な音節を使って歌うもので、既に音型を覚え終わった後の装飾・表情付けや、意味付けのある各音節では追いつけないような複雑怪異な音型を覚えることを主な目的に使われるものである。

私の理解によれば、代音唱法のこれら様々なタイプは、互いに対立するものではなく、目的や適不適を異にする別々の手段であり、混乱しないようにしながら使い分けられるべきものである。

音度名唱の特徴

一言で言えば、「旋法を歌う」ということである。

旋法・調性のある音楽で、主音がある程度安定して定まっているのでなければ、音度名唱は長所を発揮できない。特に、ディアトニック音階(=長音階(旋法)や自然短音階(旋法)などを含む音階。全音階)以外の多種類の音階が用いられるジャンルで威力を発揮する。インド音楽は、まさにそういうジャンルの宝庫である。

というのは、南インド音楽(カルナータカ音楽)の72種類の親旋法(ジャナカ=メーラ)は、分析すると36種類の音階から成り立っている。その中には、ディアトニック音階も最重要な音階の一つとして含まれているが、西洋音楽では基本とされないような音階が、その他にも30数種類、基本として扱われているのである。それらディアトニック音階以外の音階には、転回して他の音を主音にしてもあまり音楽的満足を生まないものが多く、限られた旋法としてのみ用いられる。また、主要三和音を使った機能和声が機能しないことが多い。このジャンルで機能和声が使われないことは、多くの旋法・音階が残ったことと裏表の関係であると考えられる。

また、五線譜との関係でいうならば、音度名唱は、音名唱や階名唱よりもはるかに難しい。それは、西洋音楽の五線譜が、ディアトニック音階を(かつての教会旋法や、ハ長調・イ短調を基本にして)最も効率的に書き記すために発展してきた記譜法だからである。

音名唱の場合は最も簡単で、特に、変化音を区別しない方式の場合は、音部記号を見てとり、音符の玉がどの線・間にあるかを見れば、すぐに歌い始めることができる。変化音を歌い分ける方式の場合は、それに加えて、調号(均号)や臨時記号が各音符にどう掛かっているかを見ればよい。

階名唱になると、代表的なのはいわゆる「移動ド」であるが、調号(均号)を頼りに、その五線譜がどの均を示しているかを見分け、「ド」の位置を判別する必要が出てくる。難しい、とっつきにくいとされる所以である。しかし、絶対音感がなく、音階の感覚は身に着いている場合には、旋律型の把握に非常に効力を発揮する。曲によっては、調号(均号)が変わらずに、臨時記号によって一部分だけ調性が変わっている場合があるから、有効に使うためにはそういう部分の読み取りも必要である。訓練によって、部分転調の読み替えにも上達することができ、絶対音感なしでの音名唱に比べて素早く対応できる場面も多い。

それに対し、音度名唱は、まだこれだけでは音度名の位置が決められない。書いてある旋律の終わり方・始まり方や、動きの特徴を見て取って、どこが主音「サ」であるかを判別しなくてはならないからである。そのためには楽譜を先まで読み進める必要があり、自分のパート以外にも目を配る必要性が高い。そのため、音名や階名の場合より、歌い始めるまでの準備に時間がかかる。

このことは、音度名唱の重大な短所であり、五線譜を初見で視唱するのには適していないということができる。初見で視唱する場合は、「五線譜」→「音名」→「(絶対音感や日ごろ扱っている楽器音の記憶に基づく)音高」というルートの出来ている人は音名唱を使うのがよいし、「五線譜」→「階名」→「(音階の音程構造の記憶に基づく)音程関係」→「音程+基準音高=求める音高」というルートの出来ている人は階名唱を使うのがよいだろう。

音度名は、五線譜の仕組みからの独立性が高いので、<「五線譜」→「音度名」>という機械的な変換は不可能である。しかし、それを補うだけの豊かな別の意義があると私は感じている。

更に、習得しやすさという点からも、音度名唱は困難である。

数多くの旋法の音度名をそれぞれ区別して歌い分けるためには、音度名は七つではなく、より数多く必要になる。数の多さとして極端ではあるが、例として私の拡張「移動サ」の表を見ていただきたい。これらのうち、特によく使う部分を普段から繰り返し音階練習しておくことで、新しい曲の理解にも役立つし、自ら即興演奏するにも使えるのである。しかし、「覚えるべきことをなるべくコンパクトにしたい」という意図を持つ学習者には、全くそれと逆行する複雑さである。

また、実用的に言って、日本で共に使う仲間というのが非常に限られているし、特に西洋音楽に適用している例となると寡聞にして他に全く知らない。他人との意思疎通に使える可能性が極端に低いことは覚悟するべきである。

以上のような理由から、西洋音楽の教育や実践の上で、音度名唱を導入するプラス面はほぼ皆無であると考えられる。私がこれを歌うのは、個人の特殊事情に過ぎない。ただ、敢えて言えば、拡張「移動サ」を実践することで、増音程・減音程や、半音進行の連続を「当たり前のこと」とは感じるようになる。

代音唱法(ラベリング)を使わない人

歌い手の中には、頭の中でであれ、いかなる代音唱法も使わない、という人もいる。

私の聞いた一人の例では、彼はいかなる絶対音感も持たず、また、音階を構成する音程についての相対音感もほとんど持たない。例えばどこそこは「ド―ソ」の幅の音程だとか、長調が明るくて短調が悲しげだとか、いろいろと言われても、まるでピンと来ないのだそうである。だから、楽譜を見て、ドレミを振ったり、その音がピアノの鍵盤のどこに相当するのかを読みとったりしても、実際に楽器の音を出して聴いてみるまで、さっぱり旋律線が想像できないのだという。

その代わり、楽器や声によって提示された音を、自分の声で真似ることには不自由していない。そして、何度も真似て歌ったものは、一音一音に対するコトバのラベリングなしに、暗記できるのだという。

彼は十分に優れた歌い手であり、周囲のパート仲間も、彼を迷惑に感じることなく受け入れている。合唱団では、初見でアンサンブルを始めることもよくあるが、そういう場合に彼は、五線譜上の音符を読もうとせず、視唱の得意な仲間の声を聞いて、それに同化するように歌ってついて行くのである。

代音唱法について効果があったという体験を持たない、こういう人にとって、「移動ド」であれ何であれ、改めて代音唱法を導入することが効果的なのかどうか、私は分からない。

彼本人は、楽器なしで曲のイメージがつかめないこと、全く視唱ができないことに多少の引け目を感じていて、できることなら視唱能力を身につけたいと願っているのだが、言葉上であれ感覚的にであれ、沢山のことを覚えなくてはならないのならば御免こうむりたいということである。


(最終更新2011.10.30)

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