声楽と音度名唱

 ※音度名唱「拡張移動サ」の全体を概観するには、拡張移動サ音度名表をご覧ください。

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音名の問題について

「音名」についても、現代日本での状況には少なからぬ問題があると、私は思っている。その問題には、大きく分けて、以下の3つの側面がある。

ハ長調基準性による、非対称性(偏り)。

音律依存性による、曖昧さ。

複数方式混在による、混乱しやすさ。

絶対的な音高を示すはずの「音名」であるが、実際の音高と一対一対応しておらず、前後の文脈がなければ何を意味しているのか判然とは分からない。そして、特定の音楽をするには都合がよいが、他の音楽にはそれほど便利ではないという、仕組み上から来る便利さの偏りが存在する。これらの問題は、致命的ではないが、解消できるものなら、そうした方がよいと私は考えている。

日本で使われている音名の諸方式

今の日本で使われている音名としては多数の方式が併存しているが、大きくは、「ドレミ式(固定ド)」「ドイツ語式」「英語式」「イロハ式」の4種類が重要である。それぞれ、主に使われる範囲が少しずつ違い、相互補完するような形で混在している。

「ドレミ式(固定ド)」は、絶対音感を持っている人の多くが、その音感と結び付けている用法である。階名や音度名としての移動ドと、同じドレミに複数の用法があることになる。階名として普及しているものが「ドレミ式」(とその応用)しかないのに、音名は多数の方式の乱立が問題になっているのであるから、絶対音感を持たない私としては、ドレミを音名として使うのはやめていった方がいいと思うが、感覚として刷り込まれているものであるから、簡単に廃止とするわけにもいかない。また、音名唱の方式としては、やはりドレミ式しか普及していないという現実があり、この方式を使う人がどんどん新たに生まれている。

「ドイツ語式」と「英語式」は、どちらもアルファベット(A・B・C・D……)を使って表記するもので、表記上はよく似ている。しかし、前者は主にクラシック音楽で用いられ、後者はポピュラー音楽でよく用いられる。単音の絶対音高を示す場合や、楽器のキーや部品の名前、調の名前を表すのに用いられるほか、特に「英語式」は和音の名前であるコードネームを構成するものとして用いられる。また両者は、表記や読みが似ているものの、明らかな相違点もあり、記号表記の意味や読みを判別するには、前後の文脈が必要である(例えば「B」と書かれた場合、「ビー」なのか「ベー」なのか)。声で読み上げた場合にも、状況や文脈がなければ、混乱がありうる(例えば「エー」と発音された場合、「A」なのか「E」なのか)。

「イロハ式」は、学校教育での音名の正式版として長く採用されており、一般に、調の名前を表す「ハ長調」「ニ短調」などにおいてよく使われる。英語式と違って、「ひらがな・ろ」「上1点イ」といったオクターブ表現に混乱がないのが長所であるが、日本国内でしか通用しない。また、表記上、「へ」のひらがなとカタカナが区別しづらいという点も、難点として指摘されている。

伝統的には、雅楽に基づく音名などもあるわけだが、ここではひとまず措いておく。

このことにより、例えば同じ調の名前を言うのにも、「ハ長調」「ツェー=ドゥア(C-Dur)」「シー=メジャー(C major)」の3種類が使われる(一般に日本では、「ドレミ式」を調の名前に使うことはない。)。現代日本の音楽教養としては、これらのどれを読んだり聞いたりしても、意味が通じることが期待されている。それ自体、かなり大きな負担である。そしてもしも、これらが全て、表記も読みも互いに排他的で、意味や用途の広がりも一対一対応するのであれば、まだ問題は少なかったのであるが、実はそうではないのである。

諸方式に共通する問題

音名の方式には、それが多数存在するという問題だけでなく、全てに共通する問題もある。それは突き詰めれば、諸方式がが特定の音楽的伝統から生まれてきたということに起因する。そのことにより、特定の音階の特定の調には大変便利なのに、そうでなければその分だけ分かりにくいという問題を生じている。そしてまた、音名であるのに、その音名だけを聞いたのでは、どんな音高になるのか決定できないのである。

このサイトで創案している音度名唱システム「拡張移動サ」は、長調(長音階)や短調(自然短音階)を含む「ディアトニック音階」以外にも、少なくとも何十種類という音階に対して適用される。そしてその際に、音階が違うから使い勝手が悪い、というようなことが殆どない。それに対し、現行の「音名」は、特定の音階、即ちディアトニック音階を標準としている。しかも、そのうち、ハ長調(を含むハ均)だけが、音名の名づけの構造上も優遇されている。私は、本来なら、音名は特定の音階から切り離されて構成されるべきだと考える(楽譜についても、異なる音階に対応して書式が可変な方が望ましいと思う)。

また、現行の「音名」は、音律にも依存している。どの音を何ヘルツにした何音律の調律における、という前提がなければ、音名を聞いても何ヘルツか確定できない(曖昧に、この辺り±100¢くらい、と言うしかない。)。音律が分からなければ、FisとGesが同じ音高なのか、微妙な違いがあるのかも判別できない。音律によっては(西洋クラシックの伝統の中だけで見ても)、同じ音名でも違う音高の音が出てくることさえあるが、その区別には殆ど注釈文による説明が必要とされるほどである。

さらに、「拡張移動サ」では、その基本的なセットである47の音度名によってさえ、オクターヴを40種以上ものピッチクラスに区切ることができる。ところが、現行の「音名」にはどれも、それに対応できるシンプルな仕組みがない。振動数(周波数)を数値で示すことはできるが、それでは物理学であって、音楽の仕組みを内包していない。

「音高を示すもの」としての音名は、今やその存立基盤を問い直されるべきだと思われる。「音高の区別」の必要性は、楽器や声の仕組み上、それぞれ特定の音域の音しか出せないことにまず大きく基づいており、次いで、楽器の多くが、音高を連続的に変えられず、しかも各音高の出しやすさや音質に違いがあることも多く、さらに特に、演奏の流れの中で微妙な音高の調整ができないことに由来している。

そもそも、音楽に使える音高というのは、オクターヴあたり12個やそこらに限定されるものではない。音律の基準にできる音高は、事実上無限にある。それを限定するのは、あらかじめ決められた基準で楽器を制作すれば、アンサンブルをするのに便利であるし、基準に従った標準理論を作れば、何かと話を通じやすいという、音楽を社会的に運用する立場からのかなり恣意的な都合なのである。

音数を限定して「1オクターヴあたり12の平均分割の音高でやっていこうよ」というルールで作曲や演奏をする人たちがいることには一向に問題はないし、それはそれで大きなジャンルを形成してきている。

しかし他方で、「音楽に使える音は連続的にいくらでもある」というルールで作曲や演奏をしても、やはり全く問題ないはずである。現行の4種類の音名システムはおしなべて、この後者のルールのためには適用できない。しかもそもそも原理的に、「使える音高全てにあらかじめ名前を付けて列挙する」ということが不可能なのである。

できるとすれば、振動数(周波数)何々ヘルツ、というように、数値をそのまま表明するようにすることくらいである。しかしそうすると、例えば楽器でその音をどういう方法で出したらいいのか、演奏者は困るだろう。振動数の数値は、音階の内的構成を分かりやすく表さないから、そこから音楽の内実を読み取ることはできないだろう。だから現状は、恣意的に少数の名前を限定的に用いており、それは特定の音楽文化に基づくもので特定の調に偏っており、音律により意味する音高に幅があっても大体この辺りという誤差を含んで、お茶を濁しているのだ。


(最終更新2010.10.26)

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