私の音楽観

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合唱活動と私(1)

他の場所にも書いているように、私は、子どもの頃から、断続的に合唱活動を行っている。私にとって、圧倒的に経験の多い音楽演奏の発表形式は、合唱である。

但し、その間、合唱という演奏スタイルに熱狂的信奉を捧げ続けてきたわけではない。いや、もちろん、音楽といえば合唱だけをするタイプの合唱人の方が、世間一般において圧倒的な少数派であって、私の方が断然ありきたりなのだと思うが、兎に角そうなのである。

私が最も合唱を篤く信奉していたのは、おそらくは高校生時代である。ほとんど実働1パート1人か2人という程度の少人数の合唱部(名称は異なるが)に居て、頻繁に音楽室に通っていた。かつては1学年あたり20人以上もいた時代もあったということで、その時代に憧れたし、また従妹がコンクールで全国大会に進むような100人以上の部員を擁する名門合唱部に属したのを知って、羨ましがったりもしていた。

何より、その頃の私にとって、音楽を楽しむのにハーモニーは必須の要素だった。だから「ソロを歌えない人が合唱をするのだ」という見解を持つ人には、明確に反対の立場だった。

それに対し、今の私は、音楽を楽しむのに、ハーモニーは必須でないばかりでなく、しばしば邪魔だとも思っている。そして、それなのに合唱団に所属して活動している。一体何がどうなっているのだろうか。

合唱に向かった最初の動機

私も幼い頃は、いろいろな音楽が好きだった。親は、少なからぬレコードを買い与えてくれたので、クラシックから童謡、アニメソングまでをレコードで聴いていたし、ラジオからは流行曲が繰り返し流れてきていた。家には、Schweizersteinのアップライトピアノがあって、幼稚園教諭の経験のある母が幼児向けの曲やお気に入りの曲を弾いたし、母にとって最大の趣味である日本舞踊に使う長唄や義太夫・清元・常盤津なども流れ、また、母のよく聞く英会話の講座番組からは、英語の童謡も聞こえてきていた。

その中で、歌うことに関心が向いたのは、喘息様の発作がしばしば起こるようになったことが大きな背景としてある。「息を自由に出し入れすること」が、当たり前でなくなったのである。発作は連日のようにあって、一度起こると、一回吸ったり吐いたりするのに、大変な労力が要る。重いのは4時間ぐらいだが、それが完全に楽になるには半日かかる。何十秒も吸いも吐きもできなくなることもあって、そうすると本当に死ぬかと思う。「息を使うこと」に関心が向くのは、当然のことではないだろうか。

私は好んで、リコーダーやオカリナ、ファイフなどを吹き、また、歌った。思いついた曲を思いつくままに息に載せ、また即興もした。それよりは頻度が少なかったけれど、ピアノや小型の木琴なども使った。私の家庭は核家族で、普段父の帰りは遅く、母もPTAや宗教や趣味の活動でよく外出していたから、私が音楽遊びをするときに聞いている人は誰もいないことが多く、けれども、それはちっとも苦ではなかった。私は、息の流れと、そこに音楽が載っていることを自分で確かめれば満足だったのだから。

私にとっての最初の合唱らしい合唱曲は、小学校4年生の時に学芸会で学年全体で歌った、組曲『日記のうた』であった。指揮者に集中したり、客席に歌いかけることは得意ではなかったけれど、既に五線譜を読むことが殆ど苦ではなかった私にとっては、概して楽しかったことを覚えている。

小学校5・6年生のときには、音楽を好きなことの一つとして明確に認識していた。クラブは「器楽合唱クラブ」に属し、委員会を「音楽委員会(集会委員会音楽班)」に属して、運動会の時に演奏席に入るのを誇りに思っていた。しかしこの時はまだ、自分の演奏形態として、吹奏楽を選ぶのか合唱を選ぶのかは、まだ確定しているとは言えなかった。

ただ、非聴衆伝達型というスタンスは、小学校時代に形成されたものである。

遊び友達が小学校6年生までいなかったのに、それを苦とも思わなかった自閉的な性向と、「息を使うこと」への関心という自分の身体感覚へ向かう指向が組み合わさって、「誰か他の人に何かを伝えるために演奏する」というベクトルなしに演奏することが自然と身についたのである。

その流れの上で、私は音楽を好きだといっても、自分がそれでアイドルやスターになることを夢みたことは一度もないし、メッセージをそれに載せて広く伝えたいと思ったこともないのだ。

余談ながら、私のもう一つの大きな趣味である語学についても同様である。

自由に息が流せないということは、その周辺の筋肉の不自然な強ばりを招き、思うように話せない「吃音」の症状を、軽症ながらもたらした。そのことから私は「発音の機構」に関心を持つようになった。私の語学への関心は、国際交流とか、ビジネスとかいうこととは殆ど関係なく、音声学的興味と、もう一つ「記号」への関心から始まったのである。

だから私は、海外旅行にも行かないし、外資系の企業への就職も一度も考えなかった。お金にならないマイナーな言語を興味のままに齧り比べ、時には自分の好きなように自作の人工言語を設計・構想して自分だけのために使うのが、私にとっての言語の主な楽しみ方なのである。私は今は聴力もやや不自由であって、会話することは「嫌い」というに近い。


(最終更新2010.11.18)

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