声楽と音度名唱

 ※音度名唱「拡張移動サ」の全体を概観するには、拡張移動サ音度名表をご覧ください。

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はじめに

歌の旋律を、効率よく正確に覚えるために、「ドレミファソラシ(ティ)」で歌うことが広く行われている。現代日本において、西洋系音楽を習うのに使う音節といえば、一般にこのドレミのことである。合唱団の練習においてまだ団員が音を取れていないときに、「まだ階名で歌っていいよ」「歌詞で歌えない人はドレミで歌って」などと指示が飛び、音を取るのに時間のかかる初心者に対しては、楽譜にドレミを書き込んでおくように助言されることもある。楽曲上の特定の音符を示しそこの奏法・表現を指示するためにもまた、ドレミが使われることがある。団としてドレミによる視唱を推奨或いは強要する団体もあるようだ。

ところが、私の見るところ、今のこの種の唱法の状況には、ある種の問題がある。それは詰まるところ、用語の混乱の問題である。日本では、同じ「ドレミ」が、人や状況によって、互いに矛盾や混乱を引き起こしかねない複数の使われ方をしている。複数とは、固定ド(音名唱)・移動ド(階名唱)・機能ド(同主調読み階名唱)・運指ド(楽器奏法読み階名唱)の4種類である。このうちの「移動ド」のみが、旧文部省が導入した本来の階名唱であって、他はそれと異なる用法である。しかも他方で、同じ用語空間にある西洋系音楽の「音名」として、当の「ドレミ」をはじめ、「イロハ式」「ドイツ語式」「英語式」の少なくとも4種類もが並立して使われているのである。つまり、階名と音名のシステムが、うまく仕分けされていないのである。そのことから、周りの別の用法で歌っているドレミを聞くと混乱するとか、指導者の使ったドレミの意味の解釈に戸惑ってすぐ理解できないといった様々な問題が起こるのである。

もっとも、問題が起こる場面は音楽活動の中でも限られており、程度としても重篤ではない。だからこそ、放置が続いているとも言える。対策として、皆が頭の中では好みの用法のドレミを思い浮かべながら音声ではドレミを歌わないようにしたり、これからその場で使うドレミの用法を前もって宣言したり、音の特定には別の音名を使ったりするなどの手段を講じることもできる。そもそも、独りで音楽をしていたり、同じ音楽教育的背景を持つ人ばかりの集まりだったりするときには、問題は起こらない。それでも、音楽活動全体からすれば、多少のストレスには違いない。特に、音名・階名についてまだ詳しい知識を持ち合わせていない子どもたちや、多様な知識背景を持つアマチュアの集まりにおいてストレスが高いと考えられる。

この問題は、「『音名唱』と『階名唱』のどちらが音楽教育的に優れているか」という問題とは、関連はあるが、また別のことである。せめて、「固定ド」即ち音名唱と、「移動ド」即ち階名唱とに、同じドレミを使うのではなく、別々のコトバのセットさえ当てがわれていれば、起こらなかったはずの混乱なのである。音名と階名は、音楽の理解上いずれにせよ必要になる概念であり、どちらかだけを使って音楽生活を送れるものではない。それなのに、そこに同じ「ドレミ」を競合させたのが、先人たちのそもそもの間違いではなかったか。

僭越ではあるが、公教育で「移動ド」が行われているのを知った上で、同じドレミを「音名唱」に使う教育法、即ち民間や大学での「固定ド」教育を推進した人たちに、先を見通す目が不足していたのではないかと思う。おそらく諸先生方は、いわゆる長音階や短音階にある調性が崩された音楽、無調性音楽が一定の広がりを見せる状況下で、「普遍性に劣る『階名唱』は無力化し、今後不要になる」という誤った想定をなさったのであろう。

これを根本的に解決するためには、階名唱か音名唱の少なくともどちらか一方を、「ドレミ」でないようにすればよい。しかし、現にそれぞれに慣れた人たちがいるのだから、その具体策を定めるのは、決して容易なことではない。このコーナーでは、こうした問題について考察する。

なお、同じく用語整理の不足に起因し、これらと関係するもう一群の問題もある。即ち、音名の用法の中で、なぜ調の名前だけ主に「イロハ式」で呼ぶのかとか、何種類も音名の表現があって互いに結び付けるのに時間がかかる、或いは覚えきれない、指導者や仲間がどの表現で音名を呼ぶか予測できず疲れる、といった問題である。


用語の整理

具体的な考察に入る前に、蛇足感はあるが、楽典用語の簡単な整理と、ここでの定義をしておきたい。

このサイト内では、インド音楽起源の用語や独自の定義の用語も少なからず用いられるので、読み進めるに当たっては、それらを含めた拡張移動サの用語集も適宜ご参照いただきたい。

音楽は音の芸術であり、様々な音が使われている。音楽の音、即ち楽音の個々には、高さ・長さ・強さ(大きさ)・歯切れ・音質など、様々な属性がある。西洋系の音楽で三大要素と言われる「リズム(律動)」「メロディー(旋律)」「ハーモニー(和声)」も、それらの属性の組み合わせから生まれる。例えば、リズムにおいては、強さと長さの組み合わせが最重要であり、メロディーにおいては、高さと長さの組み合わせが最重要である。(※日本語においては、音の性質をこうして主に空間的な言葉の形容で表現するが、この比喩関係は必然ではない。とりあえず日本語で書くには慣習に従うしかないだけである。)

このコーナーで扱う、音名・階名は、音の高さに関して付けられた名前であるから、高さ関係の用語をここでは見ていく。

まず音名は、音の絶対的な高さ(音高(おんこう))の名前である。音高は、基音の振動数(周波数(Hz))によって定義され、振動数が大きいほど高くなる。他の楽音の音高に関係なく決まるので「絶対的」というのである。とはいえ、振動数と音名との関係は、時代によって若干の変動があるし、同じ時代でも、どのジャンルの曲をどういう楽器で演奏するか、また演奏者の好みによっても違いがある。また、許される誤差の範囲というものを持っていて、微妙に狂ったからといって他の音名を与えられるというわけではない。そういう意味で、完全に固定されたものではない。

これに対し「音階」の構成音の名前が、階名なのであるが、音階の話をする前に、まず音程について触れる必要がある。音程は、同時又は継時の、二つの音の音高差の幅のことである。直接的には、音程は音の振動数(周波数)の比で表わされる。即ち、例えば1オクターヴの関係であれば、二つの音の振動数が1:2である。ただし、音程をこのように分数や比で書き表わすと、音程の広狭が感覚的に分かりづらいし、足し合わせたり差を求めるのに、掛け算や割り算をしなくてはならないので、便宜のために対数化して表現することも多い。その代表的な単位が「セント」(cent / ¢)であり、1¢の振動数比は、1:「2の1,200乗根(=1200回掛け合わせて2になる数)」である。1オクターヴ=1,200¢となる。セント値は、数値を足したり引いたりすることで音程の和や差を求めることができ、微妙な広狭まで直観的に分かりやすい。

一方で楽曲内での音程を言い表すには、「完全五度」とか「長三度」といった音程の度数表現をする。これらは、音の物理的条件だけではなく、音楽を作る上で必要となる、音律や音階が決まっていることを前提にした言葉である。

そのうちで音律というのは、物理的に無限にありうる音高の中から、音楽に使う楽音のセットを割り出す方法のことである。基準となる音高が一つだけ決まっていることもあれば、任意の基準音から相対的に決められることもある。また、振動数比になるべく単純な整数比(有理数)を使うもの(>広義の純正律)、それを微調整するもの(>各種の調整律)、2のn乗根といった無理数比を使うもの(>平均律など)といった区別もされる。

これに対し、「音階」という言葉は、一般に、少し広い意味で使われている。例えば「ディアトニック音階(全音階)」というときと「長音階」というときでは、音階の定義が少し異なる。即ち、音階の主音が決まっているかどうかであり、長音階においては主音はドである。いずれにせよ、何らかの音律に従い、特定の楽曲やジャンルで用いる楽音の音高を、高低順に並べた音列全体を音階という。ここでは、混乱回避のために言葉の意味を狭めにしておきたいので、単に「音階」と言ったときには、主音がどこの音かを定めない意味だとしておく。

音階では普通、オクターヴごとに同じ音程関係が繰り返される。但し、歴史上は、1オクターヴ周期でない例外も多い。オクターヴの中に幾種の構成音を含むかによって、七音音階とか五音音階といった区別がされる。特定の音階を成すものとして選び出された音を、その他の音と区別してその音階の「幹音」という。その他の音がもし使われた場合は「派生音」と呼ばれる。

そして、この意味の音階の音程関係を保ったまま、全体の音高を高低に移動させることができるが、その高低の位置を定めた音階を「(きん)」という。ディアトニック音階の場合は、調号としてシャープやフラットが幾つ付くかによって、あるいはそのドを基準にして、何均であるかを呼ぶ。

音階の説明が長くなったが、音階の構成音の名前が、階名である。ディアトニック音階の階名「ドレミ」の場合では、ドとは、その音から上に全音・全音・半音と続き、下には半音・全音・全音・全音と続く音程関係の幹音のことである。互いに他の構成音との音程関係によってのみ、階名を定めることができ、音階なしに単独の音を出されただけでは、階名を呼ぶことができない。そして、音階の均が変わるごとに、階名も高低に移動するのである。

先に触れた音程の度数表現は、七音音階を前提に、幹音幾つ分の音程かを表すもので、幹音が同じなら一度、隣り同士なら二度、オクターヴなら八度となっている。五線譜上なら、線や間の一つ一つが幹音に対応しており、音符の位置で度数を知ることができる。

なお、音階の隣り合う構成音同士の音程が全て均等で、音名がそれら構成音と一対一対応しており、構成音全てがほぼ平等に用いられるということならば、音名と別に階名を定める意味は全くない。つまり例えば、十二平均律に基づいた十二音音階技法で作曲された楽曲に階名を適用しようとするのは無意味である。

階名は音楽理解の上で、音程の物差しとして用いられる。西洋音楽の最初の階名であった「Ut, Re, Mi, Fa, Sol, La」の6つの名称は、「全音・全音・半音・全音・全音」という幹音間の音程の並びを意味し、楽曲内でそれが当てはまるように適宜スライドして読み替えられた(ムタツィオ)。今日でも同様に、ドレミの移動ド唱法では読み替えを繰り返すことで、何度も転調する楽曲にも対応する。

さらにまた、音階に対して「旋法」とは、音階を構成する各音の役割や使い方を定めたものである。そのうち主音だけは特別で、主音を定めただけのものが「音階」とも呼ばれることがあるのは、先に述べた。他に、属音・下属音・導音や、軸音(旋律上強調される音)・補軸音、開始音・休止音といった定めのある場合があり、どこまで違えば別の旋法と数えるかは、専ら文化による。また、こうして音に役割があることを、調性がある、と言い、旋法の種類が違えば調性が違う。そのような音楽を調性音楽という。

主音が定められれば、それを第1音(ⅰ度音)として、上方に順に第2音(ⅱ度音)・第3音(ⅲ度音)と番号をつけることができる。和音の機能を論じるときなどによく用いられるこれを、「音度」という。主音の階名がドであれ、ラであれ、他の何であれ、主音であればⅰ度である。その各音度を呼ぶ名前が「音度名(scale degree name)」である。主音(tonic)・上主音(supertonic)・上中音(mediant)・下属音(subdominant)などが西洋音楽の伝統的な音度名だが、歌唱(音度名唱)ではドレミをその用に充てる場合もある。

旋法も、各音の音程や役割関係を保ったまま、高低に移動することができる。その高低の位置を定めた旋法を「調」といい、主音の音高を基準にして、何調何旋法であるかを呼ぶ。同じ均の同じ音階に属して(即ち構成音の音高が同じで)主音が違うものを「平行調」と呼び、それに対して、主音の音高が同じで、別の音階にまたは同じ音階の別の均に属する(即ち構成音の音高が異なる)ものを「同主調」と呼ぶ。

ちなみにインド古典音楽の「ラーガ(rāga)」は、ここで言う「音律」「音階」ではなく、また、「旋法」として通常考えられるよりも、さらに詳細にわたる表現方法の規定がある。私はこれに対して、旋法と区別した「染楽法(せんがくほう)」という新訳語を提唱したい。


(最終更新2011.10.30)

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