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合唱活動と私(5)

社会人になって

もともと非社交的な私にとって、社会に出ることは実に大きな恐怖であった。私の大学生活は、就職のための準備である前に、自我の修復のための猶予期間だったのである。

そして、それは通常よりも長くかかった。授業にも、まともに楽しく出席していた私は、単位も順調に取得していたのであるが、なかなか就職活動に向かう気にはなれなかったのである。学科の空気も、企業への就職とはかなり縁遠いものだった。そして私は、卒業論文の執筆を一年先に延ばし、自分なりの気になる勉強を続けることにして、合唱団の後輩たちにも時々迷惑をかけながら、五年目の大学生活を過ごした。

そして幸いにも、その秋には、他学科の後輩たちのお陰もあって、自我の修復の面では一つの節目を達成し、随分と気楽になることができた。そしてその後、阪神淡路大震災被災の混乱もある中、家族や友人たちの助力により、何とかかんとか就職も決めることができたのであった。

始まった社会人生活は、予期していたとはいえ、私には「忙しすぎ」だった。

私は、試験勉強の時も含めて、それまで徹夜などしたことがなく、どんな日でも一日6時間は睡眠を取っていた。それが、たちまち不可能になったのである。平日の平均睡眠時間は、4時間未満になってしまったし、土曜日も出勤が当たり前だった。勤務時間中にまともに意識を保つことも難しく、連日のように大小のミスを出し、身体も悲鳴をあげた。

しかし、この頃にも、歌を歌っていたいという思いはあり、日曜日には時折、たまたま見知った合唱団や劇団に顔を出した。ただ結局は、まともな活動の一つもできないまま、職を辞すと同時にそれらの団とも縁が切れることとなった。

最初の会社を辞めた私は、同じ業界の別の会社に、より自分に適していると思われる別の職種で就職した。勤務時間は転職当初、最初の会社よりも、一日平均3時間程度短かかった。それでも私には十二分に忙しいと感じたが、明らかに「まし」ではあった。

翌年には、出身の大学合唱団の若手で行う「歌う会」などに参加。発表の場は持たなかったが、コピー譜を持ち寄って仲間内のアンサンブルを楽しんだ。

そして更にその翌年。私の属していた職種は、仕事が急速に減少し始めて、人数規模の縮小が始まった。

私も別の職種に配転され、幸いと言うべきか、自分専用のマシンで空き時間にネットサーフィンができる環境になる。その頃に自宅でもパソコンを買い、このホームページの原型を立ち上げた。

宗教や語学など、自分の好きな分野のサイトを尋ね歩く中、とある合唱団のサイトに辿りつく。そこは、メーリングリストの内容をブラウザからも読めるようになっており、今ではTwitterやブログで書くような内容を個々人が頻繁に流していて、とても楽しそうだった。早速、サイトから団のマネージャーに連絡を取り、見学を申し込んだ。

そこが、芦屋を拠点に活動する、合唱団ボイスフィールドだった。


(最終更新2011.10.7)

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