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合唱活動と私(4)

大学生時代

大学は、当時最も関心事であった宗教や哲学の問題を学ぶため、文学部哲学科に進学した。私にとっては人生の先決問題であって、苦しさを感じていたから、就職ということは視野の外であった。

そうして進学した大学には、学内に、中規模の混声合唱団が2つと、男声合唱団が1つ存在した。私はその中で、新入生歓迎の演奏で音楽的に充実していると感じた混声合唱団を選んで入部し、当然のごとく、合唱活動を継続した。当時、部員は60名以上、私たち新入生は、その年のステージに乗ったメンバーとしては16名いた。私は初めて、理想とする規模の合唱団に所属し、学生として持っている時間のありったけをそこに注いでいったのである。実際、そこで練習する時間は幸福であり、週に3回の放課後の練習のみならず、昼の練習も、そして空き時間に部室に行ってまだ見ぬ楽譜を漁ったりするのも、殆どが楽しみであった。

ボーリングや飲み会などのイベントを除いて。但し、基本的に生真面目な団であったので、その分、私には居心地が良かった。

恵まれた環境の中で、幾つかの小さな問題もあった。

ミサ曲やレクイエムといった、キリスト教音楽に取り組む中では、自分の信じていない宗教の信徒を、その曲を歌うという行為を通じて「演じる」ということが、私にはどうしても引っ掛かった。

翌年以降、新入生勧誘という時期には、同じ学内に合唱団が複数あるという事実が、頭の痛い問題であった。私の持っていた、個別の団よりも合唱界に帰属するという意識では、自分の団に特に誘うという動因にはなりにくかったためである。

そして、2回生で総務部チーフ(幹事の補佐職)、3回生でテナーのパートリーダーを務め、団の運営に責任ある発言をすべき機会に接すると、「発表の場としての行事を増やしたい」「多くの観客を動員したい」という仲間と暗に意見衝突するようになる。私には、平穏な練習が数多く行われていれば、それで良かったからである。

そして、もともとが優れた声や呼吸機能を持っているわけではなく、長所を生かすというより、どちらかと言えばその不足を補おうという関心から歌に入った私としては、本当に自分は歌が好きなのか、音楽を本質的に好きなのか、という根本的な疑問が、断続的に付きまとっていた。

少なくとも性格的にパフォーマー乃至エンターテイナーではなく、演じ手に徹することのできない私としては、観客に向かい合う表現としての音楽と、それを求めようとして合唱している仲間との協調が、苦痛になる側面があったのである。私は自分を、はっきりと団内の異分子として自覚すると同時に、同化することも拒否し続けた。

こうして、他にも何人もの異分子を、根本から理解し合い同化することに失敗した私たちの回生は、責任ある立場を降りると、急速に求心力を失って分散していくこととなった。

そして私は4回生のとき、「卒業後に合唱は続けない」ということを公言するようになる。

「私は本当の意味で音楽や(正統な)合唱活動が好きなのではない。それならば、それを続けるべきではない。」という考えに基づく宣言である。

そして最後には、4年間活動した者が送り出される行事でもある、3月の演奏旅行への参加も拒否し、その中で行われる卒団生を送り出すコンパへの出席も、多くの仲間の懇願にも関わらず拒否した。「私は本来この団にいるべき存在ではなかった」との意思表示である。

「子供じみた対応」といえば全くその通りであるが、この時の私にとっては、どうしても自分を偽りたくないという一心であった。


(最終更新2010.12.5)

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