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合唱活動と私(2)

中学生時代

私の中学生時代は、総じて、音楽への関心の優先順位があまり高くなかった時期である。性的衝動への対処はもちろんのこと、語学や宗教への関心も、それぞれ、音楽への関心を上回っていた。生物学や天文・地理などへの関心も、音楽へのそれに匹敵していたかもしれない。しかし、それでいながら、合唱への傾倒を決定づけた時期でもあると思っている。

中学に進んだ私は、部活を決める時期にあたり、小学校時代の音楽仲間かつ他の活動でも一緒だった一人のフルート吹きのクラスメイトから、吹奏楽部に入るように誘われた。しかし、吹奏楽部で使われる種類の管楽器には全く触れたことがなかった私は、少し気後れがして、彼の誘いを断ってしまった。そして、合唱部の門を叩いてみるものの、そこは女子だけの部活であり、変声期に当たる男子の声の扱いに自信がないから、と率直に断られてしまった。そこで私は結局、「地図模型部」という、国土地理院発行の地図をもとに厚紙等で立体模型を作る、世にも稀な部活に所属することにした。

他に、学外での活動を特にしていたわけではなかったから、中学生時代の私の音楽体験は、比較的希薄なものだった。通常の音楽の授業と、毎年行われるクラス対抗の合唱コンクール、そして「芸術選択」での音楽の授業。他には、家で自然に聞く、母の日本舞踊の音楽や、語学の趣味から独習していたロシア語から、ロシア民謡。このロシア民謡を歌うことへの傾倒は大きく、大学の一・二回生の頃まで続く。

しかし希薄ではありながら、「音楽は好きなもの」という位置付け自体は変わらず、ほとんどの場面で音楽を楽しんでいた。

細かいことでは、いろいろなことがあった。

そもそも混声合唱を最初に体験したのは、中学時代である。変声期の激しい最中には、自分の狙っている音がどうやって出るのか分からなくなって混乱し、大いに困った。

合唱界でよく愛唱される曲の一つ『いざ立て戦人(いくさびと)よ』を初めて歌ったのもこの頃で、自分の宗教観と歌わされる歌詞との対立に悩む端緒となった。

発声面では、肩を硬くしがちだった癖を、この時期にかなりの程度改善したのではと思う。

ロシア語に興味を持ったことで、深い母音に注目し、また巻き舌(ふるえ音・顫動音)の"R"音や、唇による口笛を習得したりしたのもこの頃である。

そしてなぜか、中学生生活を終える頃には、「自分にとって最も好ましい音楽スタイルは合唱である」という、一種の信念を形成していた。「音楽にはハーモニー(和声)が最も重要で、それがなくては音楽は楽しめない」と感じており、各パートに分かれてアンサンブルを楽しむスタイルは大いに好ましかった。その上に、「楽器の運搬に左右される音楽より、身一つで集まればできる音楽」「各パートに<言葉>を乗せられる音楽」がより優れていると思われたので、合唱が最も好ましいということに絞られたのである。

それが、次の高校生時代へと続いていく。

因みに、この時期に、ギターやウクレレやハープなどの撥弦楽器への関心は一切高まらなかった。というのは、今では尚更そうなのだが、私にとって、それらの楽器(アコースティックな楽器は特に)の弦が弾かれた瞬間、音高が感じられにくく、コードを弾かれてもコードが認知しにくいのである。なぜか、管楽器や擦弦楽器などに比べて、各音が「好ましい」と感じられるまでが、明らかに0コンマ何秒か遅れる感覚があり、そしてそのまま急速に音が減衰してしまうので、あまり好きになれないのだ。


(最終更新2010.12.4)

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