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音度名唱を用いる理由

これまで「入門的な12の音度名」「基礎的な25の音度名」「標準的な47の音度名」の3つのページで、「拡張移動サ音度名唱」の概要を説明してきた。

ここでは、一度振り返って、そもそも音度名唱をなぜ用いるのか、という説明をしてみたいと思う。

「音度名唱」という概念自体、「階名唱」と区別されておられない方が殆どだと思われるが、その区別は以下のようにつけられる。

  • ・階名唱:ドレミの場合、短調の主音は「ラ」。歌う音節を、音程の物差しとして用いる。
  • ・音度名唱:ドレミの場合、短調の主音は「ド」。音階・旋法内の音の役割関係を表示する。

音程に関わる唱法には、この他に擬楽唱があって、管楽器などの指使いと優先的に結びついたものがそれである(移調楽器の問題)。

階名唱・音度名唱・擬楽唱は、いずれも、音高に対しては移動しうる点で「移動」である。だから、音名と階名の区別さえ常識とはなっていない状況下では、一緒くたに「階名唱」として処理されていることが多い。けれども、その使われ方と定められ方が異なるのであるから、区別して論じられるべきである。

音名唱:物理寄りで、記譜・読譜との関連が最も深い唱法

「固定ド音名唱」が代表的なものである。

本来、旧文部省の頃より、ドレミは階名というのが日本の音楽教育の方針であったから、固定ドは導入されるべきものではなかった。音名唱教育は、ドレミ以外のものを工夫すべきであったと思う。導入の結果、日本は、世界でも類例を見ない、一つのドレミを幾つもの目的に使いまわす国になってしまった。

それはさておき、五線譜に書かれている音位表記は、音部記号・調号・変位記号・音符の組み合わせで、音名を表示している。五線譜が直接的に表す音位表記は、音名的である。従って、楽音を音名として聴き取れれば楽譜に書けるし、読んだ音名の音を楽器でどう出すかが分かれば楽音を再現できる。書かれている音楽がどんな音楽であれ、音名を利用した記譜・読譜にはほとんど関係がなく、幅広く素早く対応できる。これが、音名唱の持つ利点・強みである。

五線譜を使った楽器教育、絶対音感教育とセットになって、音名唱が普及したことは、多くの成果を上げた。ただ問題は、その音名唱が固定ド音名唱だったことで、日本政府の教育方針と齟齬をきたし、混乱を招いたことである。

音名唱には大きな利点があるが、その限界もある。

そもそも、音名唱は、音楽そのものとはまるで関係がないのだ。

例えば、ある音楽と、それ全体を全音高く移調した音楽があるとする。この二つの音楽は、同じだろうか・違うだろうか。

楽器や人の声の持つ構造や音域による制約から、各楽音の性質が変わり、少し印象が変わるということはある。しかし、常識的に考えれば、同じ曲である。カラオケでキーを替えて歌う場合に、別の曲を歌っているとは言わない。

ところが、音名唱をするとすれば、移調関係の両者で使われる音名唱の内容は、当然ながら徹頭徹尾、まるで異なってしまう。同じ曲のはずなのに。確かに、楽器の指使いも完全に変わるので、楽器を演奏する便宜としては唱法も変わるべき。けれど、それは音楽の内容とは別なものであろう。

結論として、音名唱の内容は、音楽よりも、むしろ物理に近いのである。音高の再現はできても、音楽を理解する助けにはならない。音名唱だけによる音楽教育は、唱法以外のところで音楽性をしっかり教えることで初めて成立するのである。

階名唱:相対音感による、正しい音程の補助となる唱法

「移動ド階名唱」が代表的なものである。

階名が登場した歴史的経緯からして、これは音程の物差しなのである。

「ミ-ファ」と読めば、その間の音程は半音(短二度)の上昇であって、その音程はどの音高から始めても変わらない。同様に「ファ-レ」と読めば一全音と半音(短三度)の下降である。短二度や短三度といった音程は音律により厳格に決まっていて、それを守ることによって望ましいハーモニーが得られる。それは半音刻みの大雑把な音高把握では得られない違いで、全音の九分の一といった音程差に関係する。そうした音程感覚を身につける目的で使われるのが、階名唱である。

階名唱には、読み替えがつきものであって、楽譜に書かれている音楽に物差しが当てはまりやすい位置に、物差しをスライドさせながら歌っていく。シャープやフラットの現れ方によって、それらの付いている音以外の読み方も変わるので、いつも注意をしていなくてはならない。つまり、階名唱には、一定の特殊な訓練が必要である。そして、その訓練が音楽の本質と関わっているかと言えば、例えば、否応なく転調を読み取ることに関わっている。こうしたことにどの程度の価値を置くかは、その人の価値観に依るだろう。

そしてまた、音名唱は、絶対音感がなくとも演奏に使えるけれども、絶対音感がある方が明らかに有利である。しかし、絶対音感は、幼少時の訓練で身に付くもので、成長してからではもう遅い。それに対して、階名唱は、幼少時に専門教育を始めた人でなくても、訓練を受けて、同じように用いることができる。こうした一般性・平等性も、階名唱の利点の一つである。

五線譜の「線-間」の仕組みが、階名の基本である全音階に基づいているため、音名唱ほどではないが、五線譜との親和性もかなり高い。

階名唱の弱点として言われるのが、調性のない音楽への対応が困難なことである。

用意されている「ドレミファソラシ」の物差しに当てはめづらい音楽は、階名唱の助けを得られないだろう、ということだ。

しかし、一方では、階名に派生音用の音節を付け加える拡張が行われている。特に、和声的短音階・旋律的短音階のための階名や、部分転調のための階名は、調性のある音楽においても有用である。またこうした拡張により、半音階の上昇下降も、階名を使って歌いわけることが可能である。

また他方で、無調性音楽が始まって久しい現代においても、多くの人が身近に親しむ音楽は、クラシックであれ民謡であれポップスであれ、何らかの調性を持つものが殆どだ。専門家教育には利点が薄いとしても、広く一般を対象とする教育においては、利点を失っていないだろう。

中世の階名唱は、オクターヴに届かない仕組みであったので、音階・旋法の本質を描くことは出来ず、部分ごとの物差しだった。それに対し、近代以降の階名唱は、主に全音階に依るものについては、次に述べる音度名唱に準ずる対応が出来ている。

しかし、もとの発想が音程の物差しであるから、旋法によって音節と音度の対応が異なってくる。音程関係の理解は音節に含まれていても、旋法としての理解は、旋法ごとに個別に指導する必要があるのが、階名である。

音度名唱:旋法と、その中での音の役割を描く唱法

音度名という用語を使うと、何を特殊なことを、と思われる。しかし、近世日本の五音や、インドのサルガムなど、音度名は世界に当たり前に分布している。ヨーロッパの音楽史に出てこないからといって、際物扱いされる謂れはない。現代日本の教育では、一部の指導者によって「移動ドの同主調読み」などの表現で呼ばれ、階名の変種として扱われている。

音度名唱は、旋法とその中の音の役割を描写する。

サルガムにおいて「サ」と言えば必ず主音であり、「パ」と言えばそこから完全五度上の属音である。どんな旋法においても、こうした音節と音の役割の関係は変わらない。

音名唱では、もちろんどの音名も、旋法の主音になりうる。階名唱でも、長調と短調だけを考慮すると「ド」と「ラ」がそれぞれ主音なのだが、他の多くの旋法を考えに入れると、どの階名も主音になりうることになる。であるから、この対応関係は、音度名唱独特である。

音度名唱の扱うのは、物理には還元できない要素である。物理に還元できる要素も含むが、本質的には、音楽独自の内容を主体としている。ある旋律が与えられて、それをどんな音度名から読み始めても、音高や音程の観点からは誤りにならない。音部記号や調号からは、読み始めの音度名を特定できない。何らかの「音楽的解釈」が必要である。音名唱や階名唱と違う点である。

移動することは同じで、読み替えについては、階名唱とほぼ同等に発生する。

但し、調号が変わっていなくても読み替えをすることがあるし、調号が変わっても読み替えないのが妥当なときがある。あくまで、その音楽の中の音の感じ取り方によって読み替えが変わるのである。音度名唱においては、単にシャープやフラットだけでなくて、音の使われ方や音楽の流れにもっと気を配っていなくてはならない。

その際には、絶対音感もあった方が便利である。特に聴き慣れないタイプの音楽では、今聞いた音の音高と数十秒前に出てきたか音の音程関係など、一度言語化して覚える処理を通さなければ判断できない。しかし、なくてもよい。音楽を注意深く覚えてしまえば、個々の音の音高を個別に把握することは音楽そのものに関係ないからだ。

相対音感、音程感覚はどうしても必要だ。そうでなくては、旋律を再現しようがない。そして、もっと重要なのが、その旋法の音の役割と使い方を把握する能力である。これがあって初めて、その音楽を有機的に把握し、応用できる。応用とは、例えば、同じ旋法の別の旋律を正しく展開できることである。

音度名唱は、音名唱や階名唱に比べて、音楽をより音楽自体として読むことである。

とりあえず書かれている音を出してみる「譜読み」ではなくて、音楽づくりを含んでいるのだ。その証拠に、音度名唱であるサルガムは、本番の舞台でそのまま使われることがある。音名や階名としてのドレミを歌詞の一部に含むというのではなく、音名唱や階名唱をプロがそのまま本番に披露することがありうるだろうか?サルガム音度名唱では、作曲された曲であれ、即興演奏であれ、本番の演奏内で行うことが当たり前のこととなっている。

これが、音名唱・階名唱があるのに、音度名唱を別に行う理由である。

(最終更新 

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