代音唱法の考察

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音度・旋法・音度名(4)

旋法や音度を語る上において、最も重要な概念は主音である。主音は物理的には決められない、純粋に音楽的な概念である。

主音について

主音とは一体、何ものであろうか。
「主音は旋法の第ⅰ度音である」というだけでは、話は堂々巡りになる。

主音は旋法の一番下の音(旋法基音)と同義ではない

現代で日常的に使われる「長調(長音階・ド旋法)」や「短調(短音階・ラ旋法)」の提示は、楽譜や階名によって、主音から上方に向かって行われる。音度の番号も、主音から順に上方に向かって数えられる。そのため、主音が、旋法を数えるときに必ず初めにきて、そして旋法の音域の一番下に位置するもののようにイメージされがちである。

しかし、実際の楽曲を少しでも考察すれば明白な通り、そのようなイメージは誤りである。旋律は非常にしばしば、主音の下方にも広がるものであって、主音が音域の中央や上方に位置する曲も珍しくない。

主音は支配音と同義ではない

「主音」という言葉の響きからは、旋律線上でよく鳴らされる音、使用率の上で主立った音であるかのような印象を受けがちである。

しかし、旋律線において主音の使用率が必ずしも高い必要はない。楽曲によっては、長い演奏時間の中で、最後の最後にほんの短時間しか主音が旋律に現れないこともある。

古典インド音楽には、支配音の一種として演音(軸音/ヴァ―ディー:vādī)の概念があるが、もちろんそれも、主音と同義ではない。

なお、「支配音」という場合には「それが終止音や主音とは異なる」という含みがあり、また、「演音(軸音)」という場合には「それが終止音や主音と同一かもしれないが核音や節音とは異なりうる」という含みがある。

主音は終止音と同義ではない

中世ヨーロッパの教会旋法において、主音に相当するものはフィナリス(finalis)と呼ばれ、その言葉は終止音の意味であった。現代でも、主音を探すのに、旋律の最初と最後に注目することはよく行われる。

しかし、現代では主音はトニカ(英語でトニック:tonic)と呼ばれる通り、必ずしも旋律線がそこで終わる必要はない。旋律線の最後だけからでは、主音は決めることができない。

主音は核音と同義ではない

音階がより小さな部品、四度から五度(あるいはより柔軟に三度から六度)の音列の積み重ねでできているとイメージされる場合、そしてかつ、それら小部品がしばしばフレーズの枠組みになる場合、小部品の両端の音を核音と呼ぶ。

しかし、核音は通常、音階の中に複数個あるものであるから、主音とイコールで結ぶことはできない。また、核音のうちのいずれか1つが必ず主音である、という保証もない。

主音は特性音と同義ではない

特定の旋法を特徴づける音や音遣いを、特性音と呼ぶ。例えば、フリギア旋法の第ⅱ度音や、リディア旋法の第ⅳ度音のように、同列に用いられる他の旋法とは違う、独特な音を指す。

しかし、それももちろん主音ではない。むしろ主音という機能は、多くの旋法に最も共通して存在する普遍的な役割である。

そして、主音はバス(最低声)でも根音(ルート)でも基音でもない

これらは殆ど誰でも区別できることであるが、用語の混同がありうるので明記しておく。

バス(最低声)は、パート(声部)の概念であって、和声の中で最も低い音域を担当する歌い手や楽器を意味する。従って、旋法の種類や、旋法中の各音の役割とは関係がない。

根音(ルート)とは、各和音を「三度音程の積み重ね」として分析した時に、一番下に来る音のことである。従って、同じ旋法の演奏中にあっても、和音が変わるたびに次々と移り変わる。だから主音とは違う。

基音と単に言えば、それは楽音の倍音構造の中で、最も低い部分音(=第1部分音)のことである。従って、旋法を構成する全ての楽音が基音を持つ。ゆえに主音は基音のことではない。

機能和声がなくても主音はある

近現代の音楽の文脈では、主音を決めるのに和声が重要な役割を果たしており、特に「長調(長音階・ド旋法)」や「短調(短音階・ラ旋法)」における三和音に基づく機能和声の理論はよく普及している。そこで「調性」という言葉を狭義に機能和声が働いていることと捉え、機能和声がなくては主音もないようにイメージする向きもある。

しかし、和声がなくとも、旋律さえあれば主音は存在しうる。

主音は最も落ち着く音として意識される

主音は、作曲や鑑賞において、その旋法の中で最も落ち着く音として意識される音である。

それが終止音と異なるのは、実際の音楽では期待を裏切り続けても一向に構わないからだ。幾つかの旋法では、旋律線上にはほとんど登場しない音を主音として意識させ、その主音と不協和音程の音を繰り返し旋律線上に使って、旋律の主音への解決を期待させながら、なかなか解決させないことを本領とする。結果、一曲を通じて不協和音ばかり鳴り続けるが、それがそれらの旋法のあるべき「美」の形なのである。

主音は機械的には決められない

音名は、楽音の基音の振動数から、物理学的に導き出すことができる。また、階名は、五線譜と、いわゆる長調と短調の仕組みを前提にすれば、音部記号や調号(均号)を頼りに、譜面からすぐに読みとることができる。しかし、音度名の基盤である主音の位置については、そうはいかない。

主音を決めるには、音楽を総合的に俯瞰する必要がある。だから、音名唱などと違って、楽譜を見てすぐに音度名唱を始めることはできないことが多い。しかしそれだけ、音度名唱は、物理学的な諸要素から遠く、音楽固有の内容であるといえよう。

(つづく)


(最終更新2012.11.6)

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