代音唱法の考察

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音程・音階・階名(1)

音程を数える「度」という概念には、音階の存在が前提となっている。その音階とは、果たしてどんな存在であろうか。

音の階段とその様相

音階とは、楽曲とか楽唱とか、何らかの演奏またはその一部に用いられる音を、高低の順に並べたものである。それらの高さの音が出る楽器を作れば、或いは調律すれば、現実世界に具体的な物として現れるが、本質的には形式的記号的なものであり、実体あるいは現象ではない。実際にはその演奏に出てこない音を、理念的に補って、何々の音階と特定したり、或いは逆に、少しだけ出てくる音を、本質的ではないからと省いて考えることもある。

音階と呼ぶ場合に、私のここでの用語法では、音階を構成する音の、演奏上の役割や機能の概念は含まない。つまり、どこが主音ないし中心音か、それに対する属音はどこか、というようなことは、音階の種類を区別する要素ではないと定義する。それら、音の役割や機能は、別章で考察する旋法に属する概念とする。

ヨーロッパ系の音楽では、音階が事実上1種類の標準型に集中しているため、音階と旋法の区別が、用語上、やや曖昧になっているきらいがある。長調のことを「長音階」、短調のことを「短音階」などと呼ぶことがあるが、ここでの定義では、「長音階」と「自然短音階」は同一種類の音階に属する異なる旋法(乃至、オクターヴ種)である。

近代ヨーロッパ音楽的な感覚では、音階というのは、耳に聴こえる限り、低い方にも高い方にも目いっぱい広がっているというのが常識に感じられるであろう。しかし、歴史的に見れば、音域の限られた音階組織が各地にあった。1オクターヴに満たないものから始まり、せいぜい3オクターヴくらいまでを意識した時代が長かった。それらの音階では、厳密ではないにせよ、低い端の音と高い端の音が決まっていた。

同様に、音階と言えば、1オクターヴ周期で繰り返すものというのが常識かもしれない。しかし、音階には周期性を持たないものもある。一見周期を成しているようでも、低いオクターヴと高いオクターヴでは音の構成が微妙に異なるものもある。また、周期を成していても、それが1オクターヴ半周期や2オクターヴ周期と広かったり、五度周期や四度周期と狭かったりすることもありうる。だから、1オクターヴ周期の音階のことだけを語りたい場合には、そうと前置きする必要がある。

また、音階を構成する音同士の幅は、順次に見ていった場合、不均等であることが普通である。ヨーロッパ系の音楽では、大雑把に言って、全音と半音とを区別する。しかしこれも、近代以降、意図的に等間隔にする音階が使われることもある。

音階の概念で重要なことは、それを構成する音全て一緒に、音相互の高さの関係を保ったまま、全体が高低に移動しうるということである。高低の端が決まっている音階は、その高低の端ごと全体が移動するし、聴こえる範囲いっぱいに広がっている音階では、移動に伴って、ある音が範囲外へとかすんで行き、逆の端の方から別の音が範囲内に現れてくる。

音階を構成する音の名前である階名は、音階全体の高低移動とともに、高低に移動する。このとき、何に対して移動するかといえば、音高に付けられた名前である音名に対して移動するのである。音名と階名は、同じ中心軸を持つ2本のらせん階段としてイメージできる。それらが同じ幅で周期を成している場合は、同じ中心点を持つ2枚の円盤としてイメージすると分かりやすく、楽典によってはそのような説明法が採用されている。音階を構成する音の間隔は不均等であることが普通なので、階名が移動することにより、その間隔が今どこに移ったかを感得できるのである。

音名と階名とが明確に区別できるのは、このように、音階全体が上下できると意識された場合のみである。このような意味での音名と階名の区別は、私の知る限り、紀元前の周代に遡る支那の事例が最も古い。古代では、音高の基準も厳密でないことが多いから、特に音の名前のセットが一種類だけの場合は、それが音名なのか階名なのか区分できないこともある。

(つづく)


(最終更新2011.11.29)

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