声楽と音度名唱

 ※音度名唱「拡張移動サ」の全体を概観するには、拡張移動サ音度名表をご覧ください。

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固定ド音名唱の問題

代音唱法にはそれぞれ、長所・短所がある。

その中で、非常に広く使われていながら、明らかに傍迷惑な問題を抱えているのが、固定ド音名唱である。東川清一氏の諸著書の中で、実に共感できた主張なので、私なりの立場で論じ直すことにする。

用語の混乱の助長

日本語でも本来、音名と階名は整理して用いられてきた。近世までのことはひとまず措いておき、近代に西洋音楽が取り入れられた以降の流れで言えば、音名には、欧州のアルファベット順に倣って、日本語伝統の文字順であるイロハ順から、「ハニホヘトイロ」が採用された。階名には、戦後教育の標準では「ドレミファソラシ」が用いられる。

音名のほうは、イロハ順では他の国には通用しないから、中等教育以上で英語式やドイツ語式も教えられるのは自然の勢いである。また、かつて数字譜で教えていた時の階名としては、日本語数字式の「ヒフミヨイムナ」もあったが、歌いにくさ・聞きとりにくさから判断して、これが廃れたのも当然かと思う。

いずれにせよ、音高を指し示す音名と、音階の中での位置関係を示す階名とは別物であるから、それぞれに異なるコトバを割り当てることは当たり前である。しかし、それに反して、混乱を呼びこむのが固定ド音名唱なのである。

固定ド音名唱は、音名を表すコトバのセットに、4種類目を付けくわえた。

そのことにより、音名を言いたい文脈で、或いは、音名に基づいて「調」や「和音」を表現したい文脈で、我々は、話し相手がどのセットで表現するか、どのセットなら理解しやすいかを、推測し判断する必要に迫られるのである。

もしも固定ド音名唱がなければ誰もが理解したであろうイロハ式音名は、今や、「ハ長調」や「イ短調」といった調名くらいにしか用いられず、それを聞いてもピンとこないという人が増えてしまった。他方で、固定ド音名唱が持ち込んだドレミ式音名は、ドレミを階名と理解している人にとって、頭の切り替えを要し、違和感がある。英語式やドイツ語式も、特定の教育を受けた人同士でないと通じ合えない。

誰もが安心して使える音名をなくしてしまったのは、固定ド音名教育の弊害の一つである。

また他方で、固定ド音名唱は、階名として使えるコトバのセットをなくそうとしている。

現在、階名として広く使われているコトバのセットは、「ドレミファソラシ」(とその派生)だけである。そのドレミが音名として用いられ、特定の音高や鍵盤の位置と分かちがたく結びついて記憶されてしまったら、その人には、階名として使えるコトバのセットは残されていない。勢い、固定ド教育を受けた人の多くは、階名唱を行わないことが多い。

主に階名に使われるはずのドレミを、異なる目的に用い、安心して階名を表せるコトバをなくしてしまったのは、固定ド音名教育の弊害の一つである。

固定ド音名唱によって、日本人にとっての音名と階名は、大幅に理解しがたいものになってしまった。そして、音楽の現場での、音について伝達するコミュニケーションが、必要以上に気を使う複雑なものになってしまった。これは、中長期的に見て由々しき問題である。

階名唱は必要ないのか?

階名は、言うまでもなく、音階を構成する音同士の関係を指示するものである。

この場合の「音階」というのは、欧州の伝統に基づくものに限定されているのだが、実際問題、その伝統に大きく影響された音楽が、わが国でも一般に普及して久しいのだから、その効用は十分期待できる。

ところが、固定ド音名唱を身につけると、上記のように、本来避けられたはずの混乱によって、階名として使えるコトバのセットがなくなってしまう。特に、移動ド階名唱を行うには、決定的な不都合となる。本当にそれでいいのであろうか?

中には、時と場合によって、固定ド音名唱と移動ド階名唱を使い分けて混乱しない、という人たちもいるであろう。しかしそれは、その人が十分に理論を理解し終わっており、かなり器用であるという好条件にあるに過ぎないと思う。そして、いざ第三者との意思疎通という状況に逢えば、上記の問題に直面することに変わりなく、イロハ式をはじめ、英語式やドイツ語式の音名も理解を求められる場面が出てくるのである。

階名は、単なる半音刻みの12個の音の順列ではない。

音程という意味では、コンマ単位で、どこが広い全音・狭い全音という微細な感覚も内包するものであり、また、各音の音階の中での役割や表情も含み持っている。それが、どの音高からでも相似的に展開できるというのが、階名唱の教えるところである。階名唱なしに、それを効率的に遂行できるのだろうか?

なぜ「幹音のみ」型を使っている?

譜読みに固定ド音名唱を行う人で、「幹音のみ」の「ドレミファソラシ」を実用している人たちが少なからず見受けられるのは不思議でならない。±半音も「誤差」のあるコトバを使っていて、果たして気持ち悪くないのであろうか?

音名唱教育が筋を通すのなら、平均律のオクターブ内の12個の半音は、少なくとも区別できていなくてはならない。そうして初めて、音階の隣同士の音程が全音か半音かが区別できるわけだし、和音が長三和音なのか短三和音なのかも区別できるわけである。そんな基礎的なことが区別できないようなコトバなら、使わない方がましである。

音名唱教育はドレミ式音名であってはならない

このような問題があるのだから、ピアノの中央のC音を指して「ここが“ド”です」などと教えるのは止めた方がいいと思う。イロハ式音名でも派生音を音名唱するのには不便だが、既存の楽典の筋としては、最初から「ここが“ハ”です」と言えばいいのだ。「ハから始まる長音階(ド旋法)だからハ長調」、という調名理解にもつながり、楽典全体の見通しがすっきりする。

音名を先に教えること自体に問題があるとは言わない。ただ、最初から音名として使う、つまり「固定」にするつもりで教えるならば、そのコトバのセットは少なくとも「ドレミ」であってはいけない。

イロハ式が不便なら「五十音式音名」なら?

日本語の文字順には、古来、「イロハ順」と「五十音順」があった。

近代に、音名として採用されたのは「イロハ順」だったが、この順序は、辞書などにも用いられず、知識としては皆が持っていても生活上馴染みのないものとなっている。文字順としての実権は、完全に「五十音順」が握っている。

そこで「イロハ順なんて古くさくてもう馴染みがないから、そんな音名はもう要らないんだ」という人も中にはいるようだが、それならば、「五十音順」を音名に使う発想があってもいいのではないだろうか。

そのやり方としては、五十音の最初の35文字を使うのはどうだろう。つまり、幹音は、ア段の「アカサタナハマ」を使う。それが、英語式音名の「ABCDEFG」に順次対応しているという寸法である。(※もし「アイウエオカキ」を使うとしたら、幹音を覚えるのはもっと楽かもしれないが、機能的にはかなり勿体ないことになりそうである。)

そして、派生音名として、シャープ付きには「イキシチニヒミ」、フラット付きには「オコソトノホモ」、ダブルシャープ付きには「ウクスツヌフム」、ダブルフラット付きには「エケセテネヘメ」を使うのである。

先例の有無は調べていないのだが、もし音名唱教育をするつもりで音名を考えるのなら、明治の時代から誰にでも思いつきそうなアイディアだと思うのだけれども、如何であろうか。

五線譜における一つの音符表記に一つずつのカナが対応して漏れがなく、全て開音節の構成である。比較的シンプルなドイツ語式と比べても、日本人が歌うには相当に合理的だと思うのだが。

もし固定ド教育を続けるなら

もしも固定ド音名唱という形で音名の方に「ドレミ」を使い続けることにするなら、その人たちは、代わりの階名を責任を持って提示して欲しい。そして、音楽界や文部科学省などと統一見解を作ってから固定ド音名唱を再開して欲しい。そうであれば、過去の移動ド自体との間の食い違いは残るが、その遺産はコトバを置き換えるだけで継承できるはずである。

私の「拡張移動サ」は階名ではないが、その際にでも参考になれば幸いである。


(最終更新2011.7.16)

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